第561話

昨日、ブログ再掲した「御園座の変遷1~7」に記されている御園座の劇場改修・再建の歴史から客席数の推移を抜粋してみました。

1897年
明治30月 5月 開場   客席定員 1216人  追加入場・一幕見 有り

1921年
昭和10年10月 新装再建 観客定員 1540人

1947年
昭和22年10月 焦土復興 観客定員 1493人 

1953年
昭和28年 7月 大改修  観客定員 1578人  立見席 新設

1963年
昭和38年 9月 焼失再建 観客定員 1819人  全席椅子席
             (花道沈下時1924人)
1995年
平成 7年 4月 大改修  観客定員 1659人
             (花道沈下時1764人)
2018年
平成30年 春  再建予定 観客定員 1218人  推定
             (花道なし 1298人) 予定

積水ハウス高層マンションと併設される御園座は、やはり劇場設計に大きな制約を受けている。 
客席数1218席(花道設置時の推定、オケピット使用時も近い数字と推定)は、下記の東西劇場と比べても見劣りがしてしまう。

東京  歌舞伎座    1808席 

東京  帝国劇場    1897席

東京  明治座     1368席    1448席(花道なし)

東京  新橋演舞場   1428席

名古屋 中日劇場    1420席

大阪  新歌舞伎座   1453席    1529席(花道なし)

大阪  梅田芸術劇場  1905席

福岡  博多座     1340席    1454席(花道なし)

追 記
御園座は2年前の劇場閉館時、マスコミから「新劇場の構想は・・・」と問われ
「新劇場の客席は現席数より2~3割減と多少小さくなる。課題だった客席の稼働率を向上させて収益力をたかめる・・・・」とインタビューに答えていたが、具体的なビジョンが見えて来ないです。 

「客席の稼働率を向上させて・・・」?? 簡単に言うと一公演あたりのお客様を増やすことですね。 2~3割の減席に対応する具体案とは思えません。

御園座の年間公演を買付けとする方針は、席数の大きな他劇場と比較して公演仕込みの減額をしなければ採算が取れない・・・という難問も出てくるでしょう。

御園座が解体されたのを期に、明治30年5月開場から今日までの劇場史として「御園座の変遷」をまとめて再掲載します。(過去に私のブログに載せた物です。スキャンの都合で逆順になっていますが変遷1からお読み下さい)

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第560話

新御園座ビルの起工式から一夜明けた28日(土)中日新聞朝刊には、3年後の劇場再開場に期待する各界著名人の話などを織り交ぜた、御園座の記事が溢れていました。

歌舞伎界から坂田藤十郎丈、歌手の五木ひろしさん・石川さゆりさん、舞踊家の花柳朱実さん、東海学園大の安田文吉教授、そして御園座の元演劇プロデューサー篠田邦雄です。 

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積水ハウス株式会社は、御園座跡地開発(劇場・店舗・分譲マンションの複合開発)として進めていた「(仮称)栄一丁目御園座共同ビル計画」の詳細を発表しました。

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第559話

平成27年(2015)3月27日、新御園座ビルの起工式が行なわれました。

当日の中日新聞夕刊には「新御園座ビルは2017年12月に完成し、新劇場の開場は2018年春に再開場」と載っていた。 先日私のブログに載せた開場予測と同じでホッとしました。 
また劇場設計とビル外観デザインを監修された隈研吾氏の紹介と解体前の御園座正面壁に用いられた「なまこ壁」風のデザインを引き継ぐ新御園座ビルの完成予想図が掲載されています。

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第558話

「御園座 解体されました」の記事を載せると役者さんのfacebookに、劇場を懐かしむコメントが寄せられていました。

舞台での事、楽屋での事・・・それぞれの思い出が残っていた劇場が無くなっている。
あの跡地写真に複雑な気持ちになられたと思いますが、コメントに「舞台も楽屋もほんとうに良い劇場でした」「劇場スタッフの人柄も劇場の作りも最高でした」「新御園座が楽しみです」など・・・・温かい言葉を頂いている。 

御園座は、全国劇場の中でも数少ない舞台大道具製作から公演に携わる舞台・照明・ミキサー・小道具の係りを社員としており、その他にも観客係り・楽屋係りも配し、お客様へのサービスは勿論、舞台の仕上がりから俳優のお世話を大事にしてきました。 

私が御園座に入社した(昭和39年)頃、観劇は高級娯楽として入場税が課せられていた時代です。 世の中全体がまだまだ貧乏な生活が一般的でした、役者も劇場社員も貧しかったです。 それでも「芝居の世界」には貧乏を忘れる魔法の「夢」が有り、舞台を支える「絆」が生まれていました。

当時、御園座の役者に対する「おもいやり」は、ギャラの少ない下座の役者を楽屋上層階に旅館のように寝泊りさせ、楽屋食堂を開設した事など・・・・多くの役者さんが語っています。

舞台では、歌舞伎・新派・新国劇・松竹新喜劇・・・と「義理」「人情」に溢れた芝居が上演されていた。 時代が移ってスターが主流の公演になっても劇団経験者の舞台役者の層は厚く、魅力あるスターに見応えある芝居となり客を魅了していました。

しかし、どこの劇場も大スター・歌手への安易な依存に陥って「芝居の質」を支えてきたスタッフ・役者への「おもいやり」が徐々に希薄になってしまった。

御園座でもスタッフ・役者と共に何日も深夜に及ぶ稽古に付き合った「芝居のわかる」社員がいなくなっている。

何処かに「忘れ物」をしてきたように思うのは、私一人でしょか・・・・・・

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第557話

昭和32年(1957)7月、名古屋駅南口前に建つ名鉄百貨店8~10階に開場した名鉄ホール。 数々の名舞台をお客様の心に残し、今月末57年の劇場史に幕を下ろします。

一昨年3月末に再建のため閉館した御園座と同様に、設備の老朽化などが理由として上げられている。 今朝の中日新聞に載せられた新名鉄ビル・三棟大開発ニュースには、商業施設・ホテル・住宅・バスターミナルの名はありましたが、劇場再開の朗報は載っていませんでした。

名古屋三劇場(御園座・中日劇場・名鉄ホール)の一つが無くなってしまう。

御園座は、財界の支援を受け三年後に再開場しますが、それを期に中日劇場は貸し劇場へ運営を変えます。 中日劇場の入っているビルも再開発が話題になっており、このままでは名古屋演劇界は・・・・・

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第556話

今から15年前、平成12年(2000)10月27日に御園座を借り切って津軽三味線・藤秋会の記念大会が行なわれました。 当時は月末の休館日を貸劇場として利用して頂くのは、舞踊会かカラオケ大会など翌月公演準備に負担が掛からない催し物を選んでおり、「津軽三味線の会」と会主から説明を受けても御園座初めての公演に、現場の受入れ作業も計算できず演劇制作部長の私も躊躇した公演でした。

実現できたのは会主の藤秋会・加藤訓家元の熱意です。 過去に御園座で上演した「近松心中物語」のラストシーン客席に降り注いだ大雪を、津軽三味線200名の大合奏に降らせてもらいたい・・・・・何年も思い描いた家元の「一念」

私のプロデューサー魂に火がついてしまいました。 もともと客席への大雪企画は御園座公演が発端であり提案者の一員でもあったので、藤秋会への使用も問題ないと判断。今でも語り草になった一日限りの豪華・夢舞台が実現したのです。

その日から15年、日々精進の「つみかさね」秋藤会は益々発展し今年6月21日に35周年記念公演「夢舞台・藤秋会2015」を愛知県芸術劇場大ホールにて開催する。 公演チラシ と 坂村真民の詩「つみかさね」の色紙です。

今日、NHK BSテレビ「北国からのコンサート」に、五木ひろしさんと共演されている家元を拝見し懐かしい昔話を書いてみました。

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第555話

御園座が解体されてしまった。 写真の様にとうとう8階建て御園座会館ビルは、跡形も無くなっています。(他にも写真を撮りましたが、facebookへ掲載)

撮影場所は元御園座ビル東南角からです。左手に大きなヒルトンホテルが現れ、正面奥は広小路通り北側の観光ホテルまで見通せてしまう。 本当に御園座が無くなっています。44年間も勤めた劇場が消えてしまった・・・・・

現場に貼りだされた工事予定表には明日まで解体工事を行ない日曜からは現場は閉鎖され、4月1日から新御園座となる劇場と積水ハウスの高層マンションビルの建築工事に入ると記載されている。 すでに新劇場の設計は建築家の隈研吾さんが担当されると発表されており、着々と御園座再建計画は進められています。

しかし再建後の御園座では、どのような公演が観られるのか? 魅力ある看板興行が揃えられるのか? 東西の商業大劇場の大半は、入場料収入だけでは採算が取れない現状に陥っている。 御園座が独自性を活かした公演企画をするには「御園座の芝居づくり」を手放しており、買付け興行を並べざるを得ません。

やはり頼みの綱は、劇場運営に協力される中日新聞社となるのでしょうか?

来月、中日劇場にて開幕する「4月花形歌舞伎」のように中日新聞社・御園座 主催と掲げ、多くの公演広告を新聞掲載して頂く・・・・・

いゃ~・・・・ やはり、それは、無理でしょうね。

数ヶ月ぶりのブログ掲載なのに、解体されて更地になった御園座跡地を見て感傷的になっています。

第554話

ブログ「御園座 芝居の話」を少しでも多くの人に読んで頂けないか? と以前はツイッターにブログの更新を書き込んでいたが、昨年4月以降は御園座が閉館していることもあり、御園座リアルタイム検索も話題が少なくなっています。

「このままでは、御園座が忘れられてしまう!」とフェイスブックも利用しはじめました。 しかし、ブログでもコメント欄は閉じてメールのみ御意見・感想などを頂いていた私が、友達を探たり、いいね!を押したり、会話を公開するなどは気恥ずかしくて出来ません。

それでも芝居の世界を多くの人達に知らせたいと始めたのです。 御園座時代のプロデューサー立木常雄さんのフェイスブック友達800人に芸能係者が多くいる事を知り、彼だけを友達にさせて頂いた。 「友達の友達」として今は色々な分野の方々に読まれているみたいです。

フェイブックもお便り・感想はメールにてお願いしている。 自分勝手なルールを押し付けてごめんなさい。

今日は「ブログ芝居の話を見つけて読んでいます」と50代の方から嬉しいメールが届きました。

「偶然見かけた貴殿のブログ、御園座中心のエピソードを興味深く拝見し、長年にわたる中身あるブログ継続に感服しました」との内容
        嬉しいですねぇー  続けてきてよかったぁー
又、「70代後半~80代の御園座OB + 芸能関係知人にお知らせしたい内容です・・・・・・」とも書いてあります。
        
その通りなんです! でも、懐かしがって読んでくれそうな年配の方々は、ほとんどインターネット アレルギー世代です。

元明治座の土生さん、新歌舞伎座の松岡さん お読み下さい。 私の心からの叫びです。
元新歌舞伎座の北浦さん 諦めました。 元梅田コマの竹田さん ご愛読ありがとうございます。

皆さんからのブログエールに励まされて続けてきました。

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