カテゴリ: 美空ひばり

第44話

「美空ひばり物語」の企画は、企画制作会社アプルのN氏とひばりプロダクションとの間で合意となり、東京・大阪・名古屋の上演劇場の選択に入り、アプルスタッフは各座への企画提案に東西劇場を廻っていた。

東京・大阪にて美空ひばり公演を長年上演していたコマ劇場へ企画を提案したがスケジュール調整が付かず・・・・・そして御園座へ

「名古屋では、ひばり公演を行なっていた御園座に一応話をし、この企画は中日劇場へ持ち込むつもりでした」とN氏は、後日私に話してくれました。

N氏が企画した「美空ひばり物語」は、ミュージカル的要素を重視した舞台を考えられており、その色合いから中日劇場と考えるのは当然と思います。

私の「ひばり公演」への強い思いも有り、N氏の話を聞いて独断でこの企画の受け入れを決めました。

「社長の承認を得る自信は、充分に有ります」と・・・・・

私の余りの自信に戸惑うアプルスタッフに、伝説になっている御園座ひばり公演の実績と、今でも美空ひばりファンはかっての「ひばり公演」を懐かしみ、ひばりさんの世界に浸れる場が御園座で実現すれば、必ず公演は成功すると力説しました。

「ただ一つ、注文が有ります」と提案した事は、「美空ひばり物語」はひばりさんのファンに届けるもの、客層を考えればミュージカル的作りより、芝居としてストーリーをしっかりと作って下さい。

そして、劇中に入れるショーの部分は、アプルさんの企画したミュージカル要素を取り入れたひばりさんの世界を創って貰いたいと・・・・・

N氏は、私の熱意に同意し、「期待を裏切らないキャスティングを実現します」と東京へ帰っていかれた・・・・・・・


つづく

第17話

昭和60年7月 御園座創立90周年に、7年ぶりに美空ひばりさんを迎える事が出来ました。

その間に、次々と起こったご家族の不幸。しかし、お客様の前では常に明るく、力強く、見る人に元気を与えられるひばりさんでした。

監事室には、ママ(ひばりさんのお母さん)はもう座られて居ません。でも私は、何時もそうであったように監事室から毎日、ひばりさんの舞台を見守り続けました。

演目は「艶姿弁天娘」、歌舞伎の弁天小僧を女に仕立てた作品です。

大詰め前、大屋根の捕物大立ち回りは、いつも舞台ソデに付きます。既に腰は相当に辛かったと思いますが、一度も弱音は吐かれず気合を入れて殺陣の場に・・・・そして一番の見せ場、大屋根ブッカエリが始まります。ひばりさんを乗せた大屋根が90度舞台裏側へ回転する大仕掛け、歌舞伎で使われる手法ですが、お客様は大喜び。

体への負担は、大きかったと思いますが千穐楽まで、大丈夫 大丈夫と見事に勤め上げられました。

翌年は梅田コマ劇場に出演。そして、62年5月には明治座にて公演を行なう予定でしたが、皆さんご存知のように公演を前に緊急入院されました。

私は何時までも、大屋根に凛々しく立たれたひばりさんが忘れられません・・・・

今日は、ひばりさんの命日です。     合掌




第1話

6月と言えば「美空ひばり」さんの命日が24日。今年もテレビに懐かしい映像が放送されることでしょう。

ひばりさんが、初めて御園座にて一ヵ月の芝居とショーの公演をしたのは、昭和40年4月 世紀の大スターの舞台を待ち望んだファンに劇場は連日大入り満員となりました。

演目 昼「お夏清十郎」「彩競四季花籠」 夜「女の花道」「艶姿雪月花」共演 林 与一、石井 寛、清川虹子、黒川弥太郎、京塚昌子、林又一郎他

ひばりさんのお母さん・・・通称「ママ」との出会い。

ママは、公演初日から千秋楽まで一階客席後方にある監事室から舞台を観ます。初日から数日は、演出・照明・音楽のスタッフヘ指示を出していきますが、それ以降は当時劇場の監事室を担当していた私達に舞台の手直しを言われます。

今日、お越しになったお客様に最高の舞台を、明日からは、もっと良い舞台を・・・そんな思いが託された「ママのダメ出し」でした。

公演一ヵ月、昼の開演から夜の終演まで一緒に過ごさせて頂き、ひばりさんを大スターに仕上げたママのプロデューサーとしての姿勢は、その後、御園座の演劇プロデューサーとして芝居創りに携わった私に大きな影響を与えてくれました・・・

今日は、ここまで

↑このページのトップヘ