カテゴリ: 御園座の芝居づくり

イメージ 1第162話

7月1日付に行なわれた御園座人事は、予想どうり若手管理職を昇進させる若返り人事となりました。

劇界が注目した演劇担当常務辞任の後は・・・・・今までの総務担当役員が常務に昇進してご担当されることになりましたが、総務担当も継続されることもあり、営業執行役員が制作も担当する複雑なことになっているようです。

春からアドバイザー・プロデューサーとも契約しており、御園座の芝居は今後どのような方向性が示されるのか注目されています。

今月のプログラムには、公演製作に㈱御園座の名前が記載されています・・・・・
㈱コマプロさんの配慮なのか解りませんが、わたしが作部長をしていた時には考えられない表示です。

他劇場でもやっていること・・・・・では片付けられません。

御園座が「芝居づくり」に取り組み始めた頃には、形ばかりの制作参加を余儀なくされた時代もありました。

私の経験からも安易な妥協は、若手プロデューサーを潰すことにもなりかねません。

営業・総務担当の経験から、御園座の今後の「芝居づくり」を示唆することは難しいお仕事にはなるでしょうが、新・演劇担当役員には、劇界関係者との繋がりを広め、御園座の「芝 居 力」を高めて頂きたい・・・・・・・・

イメージ 1お 詫 び

昨日のブログに添付した写真は、不本意ながら立木さんが不十分な扱いとなっていました。

心よりお詫び申し上げます

彼の名誉のため、プロデューサーとして俳優さんと打合せをしているところを載せさせて頂きます。

写真は、左から立木・篠田・長門裕之さん。

イメージ 1第155話

商業演劇は、昭和30年代まで松竹・東宝に代表される大手の興行会社が、自社系列の劇場をはじめ地方の大劇場へも劇団物、企画物などを提供しておりました。

それが、昭和39年美空ひばりさんが大劇場公演を実現してから独立三座(東京・明治座、大阪・新歌舞伎座、名古屋・御園座)に於いては、積極的にスター芝居をそれぞれの劇場が自主制作する方向へ進みます。

東京・大阪には地元俳優もいるなど・・・地の利を活かした芝居制作を素早く取り入れスター芝居の劇場制作を確立していった。

一方、御園座に於いては、それまで十二ヶ月全てを松竹・東宝など興行制作会社からの買い興行スタイルを取り続けてきた劇場だけに、劇場制作には中々踏み出せず、自主制作の賛成派と反対派が対立する状況に陥ります。

ヘッドハンティングした社外のプロデューサーを登用しての芝居制作に対し、社内の意思疎通が欠けていた事も有り劇場制作は上手く軌道に乗りませんでした。

何度も挫折を重ねながら・・・・・・御園座がスター芝居の自主制作が出来るようになったのは、昭和60年代からです。

御園座が昭和40年~60年の苦節20年の末に実現できた劇場制作です。

五木ひろし公演、杉 良太郎公演、朝丘雪路公演、細川たかし公演、萬屋錦之介公演、西郷輝彦公演、里見浩太朗公演、芦屋雁之助公演、北大路欣也公演、郷 ひろみ公演、松平 健公演、伍代夏子公演、藤あや子公演、武田鉄矢公演、川中美幸公演、桂 三枝公演、小林幸子公演


今後もスター芝居の劇場制作に真剣に取り組んで行かないと商業劇場の明日は見えてきません。

写真は劇場制作公演の稽古を見守るプロデューサーの真剣な眼差し。

手前から、篠田・加藤・河村の三人・・・・? スミマセンもう一人いました、後ろに少し見えている立木でした。

第153話

御園座への勤務もとうとう今月末までになってしまった、若手社員からは「辞めた後、部長はどうするのですか?」とよく聞かれますが、何かをするために退職を決めた訳でもありません。

6年間介護事業(有料老人ホーム ミソノピア)の運営と管理会社の支配人を勤めて来ましたが、やはり私は「芝 居 屋」です。

昨年の6月から始めた「御園座 芝居の話」を書き続ければ続けるほど、芝居への思いは強くなるばかりでした。こんな気持ちで介護事業のトップにいては組織にも入居者にも迷惑をお掛けする事になるだろうと辞意を固めることに・・・・・・

そんな私の芝居に対する情熱を評してくれるのか、御園座の若手社員からは「芝居を解かるには、やはり芝居を観ることですか?」と真顔で質問される。

芝居の見方も千差万別、観劇は当然した方が良いが・・・・・芝居からどれだけの事を読み取れるかは、その人の感性による所が大です。

観劇した芝居について、あれやこれや話をしてこそ「芝居の奥」が見えてくる。

芝居の見所も役者さんの個性も、大半は先輩の話から得られるもの、自分の目で見ている事のみで芝居や役者を評していては、何時になったら芝居の世界が見えてくるのか・・・・・心配です。

「でも、何をきいて良いか・・・・・」そんな若い人達には、私は自分の「芝居の観劇談」を話します。

私の今までの経験から芝居をどう観たかを、話してあげれば少しでも役立つだろうと・・・・・

ところが、今の劇場では「新しい取り組みに、時として経験は邪魔になることも有ります」と言われる・・・・・・

これでは年配の人が、若い人に話も出来ません。

「芝居の心」を受け継ぐには、まず話を聞くことから始めなさい。

もうすぐ父の日、若者が父親に求めるものは、コミュニケーションと新聞には書かれていましたが・・・・

世間での若者の暴走・・・・「誰かに止めて貰いたかった」との言葉が何故かむなしく聞こえます。

イメージ 1第148話

本日、5月30日付にて御園座から私宛の「通知書」を受け取りました。

通 知 書
このたび平成20年6月30日を以って株式会社御園座との雇用契約を満了とさせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和39年3月、御園座へ入社してから44年間。再建なった御園座と共に歩んで来ました。

入社前に芝居を観たことなど一度も無く。どうして御園座を就職先として選んだのか、自分でも良く覚えていませんが・・・・・・

確か・・・・前年(38年)の9月に華々しく開場した名古屋の老舗劇場であり、転勤はまず無いであろうと・・・・
そして、高卒の自分でも活躍の場が与えられるのではないか? 努力しだいでは、課長ぐらいは成れるのでは・・・・と考えていたと思います。

新入社員の配属において「何が幸いし・何が災いするか」判からないものです。
自動車の免許が無くて営業から外され、普通課卒業なので一般事務の数字を扱う部門もダメ・・・・与えられた仕事は、朝から夜まで「芝居」を観ている監事室勤務。

私が入社してからの公演は    (俳優名の敬称は略)
39年3月 「松竹新喜劇」 天外・五郎八・寛美
4月 「新 国 劇」 島田・辰巳
5月 「東宝 劇団」 幸四郎
6月 「新   派」 章太郎・勘三郎・八重子
7月 「前 進 座」 長十郎・翫右衛門
8月 「大阪 喜劇」 蝶々・雄二・雁之助
9月 「名古屋をどり」
10月 「花形大歌舞伎」竹之丞・田之助襲名
11月 「東宝歌舞伎」 長谷川一夫
12月 「新 国 劇」 島田・辰巳・朝丘

40年1月 「三波 春夫」 「前 進 座」
2月 「新春 特別」 鴈治郎・扇雀・大矢
3月 「松竹新喜劇」 天外・五郎八・寛美
4月 「美空ひばり」 ひばり・与一
5月 「東宝 劇団」 幸四郎・富士子
6月 「新   派」 大矢・五十鈴・安井
7月 「新 国 劇」 「前 進 座」
8月 「大阪 喜劇」 蝶々・雄二・雁之助
9月 「名古屋をどり」
10月 「名古屋初顔見世」寿海・歌右衛門・幸四郎
11月 「東宝歌舞伎」 長谷川一夫
12月 「喜劇 特別」 明蝶・ダイマル・かしまし

この時代に監事室に押し込められ「芝居漬け」にされたことが、後々に私の人生を決定して行くとは思ってもいませんでした。

御園座がスター芝居の劇場自主制作において、他劇場より遅れを取った事は何度もブログに書いてきましたが・・・・・・

先代 長谷川真弘社長の「強い意志」と「長年の努力」が社員を惹きつけ、私も「社長の夢」は「私の夢」と社員プロデューサーへの道を必死で駆け上がりました。

多くの劇場関係者・スタッフの先生方・そして最も大事な俳優の皆様へ、感謝するばかりです。

あ り が と う   ご ざ い ま し た。

私は、何時までも misonozaman 

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