カテゴリ: 劇界 その他

第520話

今朝、東京の桐ヶ谷斎場では先月25日に亡くなられた音楽家・津島利章さん(77才)の葬儀告別式が行われた。

新聞やインターネットに映画音楽家としての業績が大きく紹介されていますが、演劇分野においても数え切れない舞台音楽を手掛けられています。 松竹・東宝の演劇製作をはじめ東西大劇場の劇場製作公演に多大な功績を残されている。

私も御園座のプロデューサーとして公演製作していた時には、里見浩太朗公演、杉良太郎公演、朝丘雪路公演などの作品を津島先生に音楽担当をしていただきました。又、先生は映画音楽家として輝かしい実績を残された方ですが、偉ぶった様子は少しも無く若手の劇場プロデューサーにも分け隔てなく御配慮いただき、劇場スタッフの人材育成にも協力して下さった。

先生の音楽は津島利章流と言われるカラーは見受けられず、あくまで脚本の色合いを重視している。 作家の思い描いた作品テーマを実に見事に音楽表現される。 劇界の逸人がまた一人逝ってしまった。

昨夜の通夜式には、多くの演劇関係者も出席され、そこで津島先生とも親しくしていた元御園座・横山常務(73才)が10月に亡くなっていたことが話題になり、私の家にも確認の電話が入ってきました。 数年前から闘病生活に入っていたが、先日 喪中ハガキが届き私も知ったばかりです。

追 記

ひと月半もブログを更新していないと「どこか体の具合が悪くなったのですか?」「ブログを更新する気力も失せたのですか?」と心配して電話を下さる方もいるが、何とかまだ持ち応えています。

ここひと月程は、夏場の暑さに熱暴走したパソコンの回復作業に必死に取り組んでいました。

その間、中日劇場の細川たかし公演の芝居を作・演出された市川正さんとも懐かしい「御園座の芝居づくり」を語らった事も、そして西川鯉之丞・西川鯉子さんの舞踊会も鑑賞できましたが、パソコン不調のためにブログを更新できませんでした。 

パソコンの顛末は、また後日

イメージ 1第496話

昨日のブログに「劇場運営には、努力で補えない勝負運・運気を呼び込むことも大事」と書きましたが、特に商売繁盛のお稲荷さんは全国の劇場どこでも立派な赤鳥居と社殿を建て、大切にお祀りしています。

4月に再建開場した新しい歌舞伎座でも正面玄関の脇に大きな社殿が造られました。

御園座は昭和38年の再建を期に、それまで楽屋口の近くにあった稲荷社を8階建のビル屋上に移し新社殿を造営。 当時のオフィスビル屋上には大小様々の社(やしろ)が有りましたが、御園座の社は高さ3メートル超の赤い大鳥居に商売繁盛の御園稲荷社と火防(ひぶせ)の白龍社をお祀りした立派なものでした。 (白龍社は平成11年二度目の改修時に全国的に知られた秋葉社となっている)

また楽屋の頭取部屋には楽屋稲荷社を祀り、役者さんをはじめ舞台関係者が、日々舞台への安全祈願をなされています。

御園座では、写真のように毎年春の初午祭(はつうまさい)を劇場舞台に大きな祭壇を飾り、多くの供え物をならべ、劇場関係者・劇団関係者・町内の方々も参加して厳粛かつ盛大に執り行われている。

初午祭は、当初 豊作を祈る農村祭礼だったようですが、室町時代を過ぎ商業が栄えるようになった頃から、商売繁盛・産業興隆を祈る商家、また今では芸能上達を願う芸能人からも深く信仰され、全国各地で毎年祭事として行なわれています。

御園座には御園稲荷大神、歌舞伎座には歌舞伎座稲荷大明神、新橋演舞場には演舞場稲荷大明神、明治座にも明治座稲荷大明神・・・・・

「劇場の神様」が守っています。

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第487話

御園座が3月末をもって現劇場での公演を終了します。

5年後の平成30年に高層ビル内に再開場を目指しているが、会社は私的整理である事業再生ADRで経営再建中。

明治29年6月(1896)の会社創立から117年の歴史に一旦幕を降ろし、事業再生を模索中です。

マスコミが「○○○年の歴史に幕」と書けないのは、御園座が昭和38年の再建後に創立周年を一年前倒しに設定し、昭和40年に70周年、昭和50年に80周年・・・・・平成7年に100周年としたため今年は創立118年となり一年づれてきます。

再建以前の記録には、昭和31年に創立60周年・復興10周年が実施されており、再建後どうして一年前倒ししたのか・・・・・・

私の推測では、当時の長谷川栄一社長が長年の夢であった歌舞伎の祭典「顔見世興行」を昭和40年10月に「名古屋顔見世」として初めて獲得する時に、御園座創立70周年の大きなタイトルが必要とされたのではないか? と思っているが・・・・・

いやいや、あれは創立した年を一年と考えて数え年の計算でしょう。

いやいや、モット単純に昭和の年号が切りの良い40年・50年に創立周年を合せただけと・・・・・と無責任な答えを聞かせてくれる人もいます。

今になっては確かめようも無いが、先々代・長谷川栄一社長、先代・長谷川真弘社長の築かれた輝かしい歴史に敬意を表わし「御園座118年の歴史」として残していきたいです。

しかし、御園座の歴史は平成11年に発刊された「御園座100年史」に平成8年まで101年間の記録が記載されているが、その後の17年間の劇場記録はどうなってしまうのか心配でならない。

公演資料は演劇図書館に保存されているでしょうが、会社行事や改修工事の記録は散逸してしまうでしょう。 

私の手元に有る資料から大事な事は書き出してはいるが、正確なものができるか? 収集中です。

イメージ 1第485話

昨日の夜、名鉄ホールにてNPO法人・日本伝統芸能振興会が主催する「歌舞伎ルネサンス公演」を観てきました。

今まで上演してきたルネサンス公演に、朝丘雪路さん・林与一さんらが参加していたこともあり、主催者法人の竹柴源一専務理事とは十年来のお付合いです。

歌舞伎は「高尚な特別な人が観る難解な芸術」と思われがちな概念を取り除き、もっと多くの人達に歌舞伎を身近に感じてもらいたいと地道な努力を続けられています。

今回の公演は、第一部に歌舞伎教室「女形ができるまで」と題し、俳優の帆之亟さんが解説・舞踊家の花柳登貴太朗さんが化粧と着付を実演された。 普段は見られない楽屋での舞台化粧、役どころによって眉や口紅の描き方も変えられるなど内容も奥深いものでした。

第二部は化粧・着付の実演で美しく仕上がった花柳登貴太朗さんの歌舞伎舞踊「藤娘」です。 衣裳引き抜きは仕込まないダイジェスト版ですが、楽屋仕度から見守っていたお客様からは大きな拍手が贈られていました。

第三部が特別企画の市民参加演目「白浪五人男」です。 開幕に先立ち竹柴理事から「歌舞伎は誰でもが参加し、出来るもの・・・・」と企画意図が説明され開幕。 日本伝統芸能振興会 中部支部会員に登録された会員の中から弁護士・医者・建設設計士・・・ら勇気ある面々が参加し大いに客席を沸かせた。

第四部は公演直前に体調を崩され休演した坂口良子さんに変わって宝塚出身の女優・麻尋(まひろ)えりか・一越和城・帆之亟さんが出演された「応挙の幽霊」を上演。

歌舞伎を身近に感じ観てもらいたいと企画された今回の公演は、満席の客席から贈られた大きな拍手からも解かるように大成功でした。

今後も歌舞伎の裾野が広がるように公演を続けて下さい。応援しています。

イメージ 1第454話

昨日の御園座「島津亜矢特別公演」初日の観劇には、久方ぶりに女房殿と出掛けました。

今まで夫婦揃って客席で観劇することは、中日劇場か名鉄ホールなど他劇場での観劇でした。

御園座の観劇は、いつも私一人で客席後方のスタッフルームから観劇していましたが、もう御園座を退職して4年も経っており顔見知りも少ないと思い夫婦で客席から観劇させて頂きました。

久しぶりに客席の椅子に腰掛けると・・・御園座の劇場の素晴らしさを肌で感じる事ができます。 平成7年・御園座創立100周年を期に取り替えられた椅子は長時間の観劇でも疲れを感じさせない。

一階・二階の左右客席は舞台に向けて少し角度を付け、お客は正面を向いて舞台を見る事が出来ます。 舞台の役者からは全てのお客様と正対し、客席・舞台の一体感を創りやすい劇場と好評を得ている。

また、舞台は、間口(22.72m) 高さ(7.00m) 奥行(18.00m) と横長となっているが、花道・廻り舞台という歌舞伎様式を取り入れ、絶妙のバランスを保っています。

まさに日本一観やすく・演じやすい劇場が『御園座』です。

芝居の中幕休憩で地下一階・清富さんで「おでん定食」、ショーの前二回目の休憩は喫茶むらやまにて一息・・・・・

芝居は二幕物に仕上げ中幕休憩を入れる、商業大劇場はこの公演スタイルを出来る限り維持してもらいたい。

高額な観劇料金を頂き、芝居は一幕・道具は簡素に徹しては、お客様に申し訳ないと劇場も座長も思わないのか不思議でならない。

今月、御園座初座長を勤めている島津亜矢さんの奮闘ぶりを見習ってもらいたい。

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