カテゴリ: 杉 良太郎

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第137話

2008年、春の褒章受賞者が発表された。

緑綬褒章・・・社会奉仕活動に尽力した個人や団体

紫綬褒章・・・芸術や学問などで功績があった人

藍綬褒章・・・公共の利益に貢献した人

黄綬褒章・・・その道一筋に励んだ人

それぞれの分野において功績のあった方々の受賞が、新聞に掲載されていました。

杉良太郎さんの社会奉仕活動は筋金入りです。
「幼い頃から困っている人に家族の食べるものを削ってでも与えていた母親に育てられ、それが人として当たり前と思っていた・・・」と私に語られた事がありました。

そのチャリティー精神は、国内にとどまらず海外の恵まれない子供たちにも長年にわたって福祉活動を続けるなど称賛に価します。

今回「緑綬褒章」受賞の対象となった全国刑務所での講演や慰問の社会奉仕活動も15年ほどの長期に亘って「一日名誉所長」を続けられたから・・・・・

杉さんが名古屋刑務所に立ち寄られた時、御園座公演の打合せ時間を無理して入れて頂き、私は初めて刑務所の中に・・・・・

その時、杉さんが私に見せてくれた品は「全国刑務所名誉矯正官」の任命証。名刺大の小さな紙に杉良太郎慰問活動への評価と感謝が込められたものでした。

今回は、もっともっと世間に評価された受賞です。

「受賞するために慰問してきたんじゃ無いよ」と言われるかな・・・

人の出来ないことを サ・ラ・リ とやってしまう。そんな人なんです 杉 良太郎さんは・・・・・・

本当に、受賞おめでとう ございます。


第74話

舞台トラブルの知らせを受けて楽屋へ伺ったが、座長の憤りは治まらない。

とうとう杉さん「こんなミスを犯すのも日頃の指導が悪い、責任者の態度が悪いのは劇場が悪い、劇場が悪いから社長の詫び状を持って来い」と変な理屈を言われる。

私が「解かりました詫び状を持って来ます」と答えると、杉さん「社長の詫び状だぞ」と念を押される。

私も腹を決めて「解かっています、社長から頂いて来ます」と言ってしまった・・・・・・

だが、どう考えても社長に知らせる訳にもいかず、考えに考えて私が出した結論は・・・・・上司の石田重役の名前を借りる事でした。

深夜、重役の自宅へ電話を入れ明朝一時間早く出勤して頂き、私が書いた原稿を和紙に毛筆で書いて頂きたいとお願いしました。

重役に同行して頂き座長の楽屋へ。

私から杉さんへ「昨日、お約束した書状です」と差し出しました。

ことの経緯を知っている重役もどうなる事かと固唾を呑んで見守るなか・・・・・・

杉さんは書状を端から開きながら読み進みます。そして終わりの名前が書いてある部分を開くと手が止まりました。

座長を見つめ続ける私。長い沈黙が続きました。

静かに「これは預かって置く」と化粧台の引き出しに収められた。

プロデューサーのギリギリの覚悟が、座長・杉さんに通じたと思います。

千秋楽。東京に帰る杉さんを名古屋駅まで長谷川真弘社長・重役と見送りに・・・・・・

新幹線に乗車される直前、杉さんは「これは返して置く」と笑って封筒を私に渡してくれました。

劇場へ戻る車中、社長に「実は・・・・・・」と報告。社長からは私の労をねぎらう言葉が・・・・・思い出深い公演でした。





第73話

杉良太郎公演の舞台に対する厳しさは、妥協を許さない。

杉さん自身、著書の中でも「自分は鉄の玉、常に磨いていないと錆びてしまう」と自ら研鑽を積み、舞台に挑み続けている。

プロデューサーにも「役者は舞台に命を賭けている。プロデューサーが手を抜けば役者生命に係わる事になる」と真剣な眼差し・・・・・

公演に参加するスタッフ・俳優さんは、座長・杉さんの舞台に賭ける情熱に共感した人達の集まりに成って行きました。

劇場スタッフの大道具・照明・ミキサーに対しても、演出家・杉良太郎の厳しさは変わりません。

こうして、緊張感ある杉公演の舞台を作り上げていました。

それでも舞台には、失敗が生じます・・・・・・

それは、「遠山の金さん」大詰の御白洲、奉行遠山が悪人達の罪状を暴き、無実の罪に泣かされた者に情けをかけるセリフに合わせ、桜の花びらが上から散ってくる場面。

桜は、とうとう幕が下りるまで散りませんでした。

散り花の係りは大道具の新人。スタンバイするのは舞台上部のブリッヂと呼ばれる鉄製の橋の上。

彼は、キッカケが来るのを待ちながらつい眠ってしまい、気が付いた時は芝居は進みもう取り返しがつかなかったと・・・・

(当時、御園座は終演後に翌月の大道具を製作しており、連日の残業 に睡魔に襲われてしまったと思われる)

緞帳が下りて楽屋へ戻る座長に舞台責任者が謝ったが、その顔にテレ笑いが入っていた事が、真剣に舞台に取り組む座長の怒りを爆発させてしまった。

現場では収拾が付かなくなり、私のところに知らせが・・・・・・



さて、どうなるか・・・・明日へつづく

第63話

今では、杉 良太郎さんの別荘もテレビ番組に紹介されて御存知の方が多くいると思いますが、その大きさは前もって話には聞いていた私でもビックリする程のスケールでした。

特に一階のリビングルームは、二階への総吹き抜け壁廻りには回廊を張り巡らせ体育館の様な広さ。

杉さんは藤瀬氏と私を案内し、総ヒバ材造りの別荘のあちらこちらを見せてくれました。

中でも、目を引いたのは温泉付きの大浴場。八角形の宮大工が手掛けた建物は廻りが全てガラス張りの豪華さ。

お風呂は後からゆっくり浸らせて頂くとして、まずは食事。

杉さんが用意してくれたのは、肉・魚・貝と何でもありのバーベキュー・・・・・・
明日からの食事メニューが気になるが・・・・・とても聞けません。
座長自らの御給仕に、恐縮して二人は食事を頂くことに・・・・・

別荘の空気は爽やか、久しぶりに熟睡した二人を杉さんは「昨日は暗くて見えなかった庭を見せたい」と案内してくれました。
この別荘入口ゲートに面した道路以外は、川に囲まれ外部の人が入ってこれない地形になっている。
どこまでが敷地なのか、判らない程の広さです。

朝食の後、打合せを続けていると・・・・どこからか豪華なお弁当が届けられ、お店の方は「今晩お待ちしています」と帰って行かれた。

座長にこれ以上食事の仕度をさせては・・・と思っていた私もこの言葉にホッと一息。

早めの夕食は、車に乗って30~40分走ったと思います。着いたのは日活映画に出てくる様な港町の盛り場、私たちが入ったのは一階が寿司屋二階が居酒屋の小さなお店。

杉さんは土地の漁師さんとも顔なじみなのか数名と同席することに、漁師さんが杉さんに話し掛ける言葉は何とか聞き取れるが、仲間同士で話しているのは外国語を話しているようで「津軽弁」サッパリ聞き取れませんでした。

三日目は座長と共に東京へ帰ることに・・・・・

自宅に帰った私に、女房殿が「青森はどうだった?」「下北半島はどんなとこだった?」と・・・・・

私は、ただ「遠かった、広かった・・・・」


第62話

今から十年程前、御園座五月の杉良太郎特別公演が終わった後、座長から青森県下北半島にある別荘に来ないかとお誘いを受けた。

翌年公演のキャスティングなど打合せをするから、演出の藤瀬氏と同行して貰いたいとの事でした。

その前の年に杉さんが青森に別荘を建てられたこと、招待された俳優さんからとんでもなく大きな別荘と話は聞いていましたが・・・・・

飛行機に乗るのが大嫌いな私は、出来るだけ座長との会話の中でも別荘の話題には触れず、誘われるのを避けていました。

しかし、打合せをするからと誘われれば断る訳にもいかず、藤瀬氏を頼りに羽田空港から三沢空港へ飛び立ちました。

マネージャーからは羽田発の便指定があり搭乗した飛行機は、夕方に三沢へ到着。

空港には黒のベンツが迎えに来ており、夕闇迫る三沢の町から下北半島に入り・・・・・・・一路、別荘へ

凄い勢いで疾走する車の中、マネージャーに「今日、別荘に招かれているのは、私達の他に誰かいるの?」と聞いてみると「いいえ、お二人だけですよ」との返事。

それでは「別荘には座長の他に誰がいるのか」と問えば、マネージャー「座長だけですよ、今頃はお一人で夕食を用意しているでしょう」と平然と答える。

これは大変なことになってしまった。二泊三日、杉さんの御厄介になろうとは・・・・・

車は海沿いの幹線道路(とは言っても片側一車線)から分かれ、山の中へどんどん入って行く。

ヘッドライトに時々照らされるのは「熊 出没注意!」の看板が、既に携帯電話は通話圏外になっており、もう外部とは連絡は取れない状況です。

空港を出て二時間ばかり、下北半島の斧の付け根を山奥に入った別荘に到着したのは午後八時頃になっていました。

紙面の都合  つづく

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