第553話
自宅の3階ベランダから名古屋駅方面の眺めです。
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建築中の新しいビルも日に日に高さを増している。 解体中の御園座も高層マンションビルとして竣工すれば、伏見オフィスビルの中では眼を見張る高さになると思います。

次々と高層ビルが建設される時代を予測して、テレビ電波はアナログから地上デジタルへ切り替わり3年前にアナログ放送は終了しました。
我家には10年程前に、東区に高層ビルが建設されるからと電波障害対策としてスターキャットのケーブルが無償で引き込まれている。

それが今年になって突然、スターキャットから「来年3月末をもってテレビ電波受信障害業務を終了し、その後は施設利用料を払わなければケーブルを撤去します」との知らせが届きました。 

納得がいかないのは、そもそも東区ビルの電波障害。5㎞ほど離れた所にいくら高いビルが建つからと我家と隣家の二軒だけが対象になったと説明された事です。当時はテレビも綺麗に映っており「これは、契約詐欺か・・・」と躊躇していると「無償です。今後一切経費は掛かりませんから・・・」と言われていたのに・・・

先方の都合でケーブル利用契約はできないと自分でアンテナを取り付けました。
瀬戸のデジタルタワー、国際ビル中継局、名駅中継局などから電波があふれています。 欲をだして三重テレビにも挑戦してみました。

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第552話

御園座の舞台を昭和60年(1985)から座長として公演を続けてきた五木ひろしさんが、来年正月に中日劇場へ出演される。

御園座への出演は平成24年の「御園座さよなら公演」まで続き、公演回数27回の座長最多出演を記録しています。 御園座の看板公演が中日劇場に引き継がれていく・・・・・名古屋の五木ファンのためにもスター特別公演のトップとして引き続き頑張ってもらいたい。 

五木ひろしさんの御園座初出演は、美空ひばりさんが最後の御園座公演となった昭和60年です。まさにひばりさんから御園座の歌手公演を託されたようにも思えます。

その年の美空ひばり公演は8年ぶりの御園座公演、腰痛に悩まされながらの出演でした。 体調が万全でない中、舞台公演を決めたのは長谷川栄一会長(名古屋のパパ)との「もう一度、御園座へ出演する」との約束を守るためでした。

そして公演中に、もう一つの約束「東京のパパ(故・川口松太郎)と約束した明治座出演」を果たすため昭和62年の公演スケジュールを決めたのです。

その後、ひばりさんの体調は一進一退・・・・・気力だけで明治座6月公演を目指しました。 しかし公演一ヶ月前には、一人では立っていられないほど病状は悪化し、東宝と明治座が美空ひばりさんの休演を決断しました。

既に6月公演チケットは売切れ状態の超満員です。 一ヶ月全期間の払い戻しは避けたいと、東宝も明治座も代役公演を検討したそうですが・・・・・演歌の女王・美空ひばりさんの代役に誰も手を上げる役者はいません。 しかも一ヶ月後のスケジュールです。 空いている歌手も役者も見つかりません。

そんな明治座の苦境が、御園座にも伝わってきました。 御園座の5月公演は私がプロデュースした杉良太郎特別公演です。 初日が開いてホットしている私に、座長部屋から緊急の呼び出しがありました。 杉さんは「今月御園座で上演している公演の演目も、役者も、大道具も・・・・・全部そのまま6月の明治座へ持って行きたい、協力してくれ!!」と言ったのです。

今、思い出しても良くぞ乗り越えました。 座長も私も若かったから・・・・

写真は壊される御園座です。劇場西側の商店街から御園座会館地下へ入るスロープがあった部分、大きく取り壊されている。
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第551話

昨日、フェースブックに敦賀市・若狭三方観音への参拝を写真と一緒に投稿しましたが、車のトラブルもあったので追記します。 久々に利用した高速道路の乗り心地が変なのです・・・・話が長くなりそうなのでブログに書き込みました。

敦賀・三方へは一宮インターから名神高速を利用して米原まで、そこから北陸道へ入りますが、名神は車が多く高速といってもそれほど速度は出せません。 車の異常に気がついたのは北陸道に入ってから、いつも走行車線は路面が荒れていてタイヤの摩擦音が大きくなりますが、今回は追い越し車線でスピードを上げるとハンドルがブルブルと震えます。 スピードを少し落とせば嘘のように治まってしまう。

隣でうたた寝をしている家内に言えば余計な心配を掛けるか「スピードの出しすぎ!」と怒られるか。 どちらにしても黙っていた方が良いと思え、振るえるハンドルを握りスピードを落とさずドライブを楽しみました。

それにしても変な症状です。 思い当たるのは先月末に車がパンクして前輪二本のタイヤを交換した事です。 さっそく今日、タイヤショップでホイールバランスを調べてもらいました。 前後四本のタイヤを調べると先日取付けた前輪の一本が狂っていました。 調べる前には「タイヤバランス、後輪は有料ですよ」と念をおされたが、流石につい先日取付けた前輪が狂っていたのでは・・・・・・無料サービスになりました。

嬉しくなって(本当は係員のミスですが)家内に経緯を話すと「お父さん、いろいろ苦情を言うから W G とメモられているわよ」と返ってきた。 

「WGって何んなの?」と聞きなおすと、病院などで患者のカルテに小さくWGと書いてあれば「うるさいジジイ」との隠語だと言う。 

本当だろうか? 単に私に、悪口を言いたいだけのように思われます。

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第550話

御園座が平成27年3月期・第2四半期決算短信(平成26年4月1日~26年9月30日)を発表しました。

第一項目の経営成績(累計)欄を前年の決算短信資料と並べてみると劇場の苦境が見えてくる。
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前年上半期の売上高は、歌謡ショー他の短期公演を実施し1億9000万円ありましたが、売上原価が大きく上回り営業利益は 2億3200万円の損失。
御園座は短期主催の興行では採算が取れないと・・・・今期は上半期の主催興行を行なわず、中日劇場7月8月公演の販売協力に止め 売上高は僅か 1500万円でした。 しかし、販売原価は又も売上高を上回り営業利益は 6200万円の損失です。

「売上高」より「売上原価」が上回る問題は、経営再建中の御園座だけではなく東西大劇場が直面している大きな問題です。 

劇場経営を観覧券の売上のみで「事業再生計画」を企てた御園座支援団体は、興行界(水物商売)の恐ろしさを垣間見たと思います。

第549話

大衆演劇座長から東西の大劇場にて主演公演を成し遂げた俳優・松井誠さんが、日本伝統芸能振興会が取り組む「楽しく馴染みやすい歌舞伎の振興を目指す活動」に賛同し、歌舞伎役者・松井誠として明治村・呉服座(くれはざ)「グランド歌舞伎設立公演」に出演されている。

この公演のプロデューサー竹柴源一さんから企画の相談を受けていた事もあり、今日は家内とともに明治村散策と松井誠主演の歌舞伎公演を観劇してきました。

演目は、狂言を歌舞伎舞踊に仕立てた松羽目物の一つ「棒しばり」と江戸の四季を歌舞伎舞踊で綴った「歌舞伎春夏秋冬」です。

「棒しばり」では両手の自由を奪われた次郎冠者の大奮闘を、松井誠が見事に踊り切ります。 「歌舞伎春夏秋冬」は艶やかに、そして力強く・・・女形・立役と踊り尽くされる。  存分に楽しませて頂きました。

しかし、呉服座の舞台には所作板が敷いてなく、あまり強く踏み込めば膝を痛めてしまわないかと心配になってしまった。 長丁場です。 気をつけて頑張って下さい。

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第548話

御園座ビルの解体工事が本格的になってきました。 8階建てのビルはスッポリと白い工事囲いに覆われている。 西側の御園通りからは南西角の貸事務所部分が大きく削り取られて無残な姿を晒しています。 昭和38年(1963)秋に竣工した時は、この位置に御園座の事務所がありました。

2階に劇場部、3階に総務部、4階に秘書室、5階に管財部 2階劇場部から3階総務部へは事務所内階段が設けられ、2階の西エレベーターホールには事務所から劇場2階ロビーへ直結した秘密の鉄扉があり従業員の利用が許されていました。 開場翌年に入社した私には懐かしく楽しい思い出が詰まった職場でした。

積水ハウスの高層マンションビルと合体して建設される新劇場・平成の御園座は、どんな劇場となるのだろうか? 

既に建物の概観は、竣工時の青写真としてコンピューター合成したものが名古屋市の開示資料に掲載されている。 大変良く出来ておりマンション・新劇場が完成しているように見えます。

写真の伏見通り側は、1階にテナント、2階に劇場ロビー・その奥に客席・そして舞台が設計されており、今までの南向き舞台から東向き舞台に変わります。

劇場への出入りは南東角の大階段となり、新・御園座の特色ある劇場の顔になるでしょう。

新しい御園座はミュージカルも可能な多目的性を備えるが、事業再生計画にも年2回の歌舞伎公演を予定したように歌舞伎への取組みを重視している。 
新劇場開場後は、さらに年3回に増やす見込みで「春は大歌舞伎、秋は顔見世、その間に新たな客層を開拓する歌舞伎鑑賞教室を開けたら・・・・」と長谷川社長は構想を巡らせているようです。

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ご案内

来週から博物館 明治村にて俳優・松井誠さんがグランド歌舞伎に出演されます。
歌舞伎鑑賞料と明治村入村料セット券、そして格安な小人・シニア割引券も用意されている。紅葉の一日、文化散策にお出掛けになっては如何でしょうか・・・・・  

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第547話

「脚光の十年」は、1985年・昭和六十年に御園座が創立九十周年を迎え刊行(非売品)した記念誌です。 内容は御園座に出演された俳優諸氏(70名)の「思い出話」や、長谷川栄一会長・長谷川真弘社長らの座談会の様子も掲載され、過去10年間の公演内容の記録を記載した今までの劇場社史とは違っていました。

歌舞伎・新派・新国劇の劇団幹部俳優をはじめ、森繁久弥・三波春夫・美空ひばり・藤山寛美・萬屋錦之介・里見浩太朗・杉良太郎・・・・・・・と大スターの寄稿文が載っている。

まさに御園座の黄金期です。 創立九十周年を迎えた昭和六十年度の年間興行を参考に並べてみます。

1月 里見浩太朗特別公演  岩井友見 土田早苗             松竹関西 制作

2月 杉 良太郎特別公演  波乃久里子 葉山葉子   新歌舞伎座 制作

3月 「ちゃんばら行進曲」 山城新伍 林美智子    松竹芸能 制作

4月 山本富士子特別公演  江原真二郎        東宝  制作

5月 五木ひろし特別公演  朝丘雪路         御園座 自主制作

6月 松竹新喜劇      藤山寛美 島田正吾    松竹関西 制作

7月 美空ひばり特別公演  淡島千景         東宝  制作

8月 松竹現代劇      大竹しのぶ 江守徹    松竹芸能 制作

9月 孤愁の岸       森繁久弥 竹脇無我 林与一 東宝  制作

10月 吉例顔見世      市川團十郎襲名      松竹   制作

11月 東宝現代劇      山本陽子 主演      東宝  制作

12月 近松心中物語     平幹二朗 太地喜和子   東宝  制作

松竹・東宝・松竹芸能・新歌舞伎座から大型興行の提供を受けています。 
この年の5月に実施した五木ひろし公演から、長く中断していた御園座自主制作が再スタートし、翌年には里見浩太朗公演、そして次の年には杉良太郎公演と自主制作が本格的に実施されていきました。

写真は「脚光の十年」その後の御園座演劇制作を支えた御園座の社員です。

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第546話

三ヶ月もブログに投稿していないと体調を崩して入院したのでは・・・・・と思われてしまう。 男性の健康寿命(健康上の問題がなく日常生活できる年齢)は、71才程と発表されていたと記憶しているが、私も69.4才です。 プロフィールに載せている御園座演劇プロデューサー時代の面影は崩壊してしまいました。

先日も九州・福岡市から「興行界の現状やら劇場の経営について話が聞きたい」と名古屋に来られた初対面の人と待ち合わせ、プログの写真を見られているかもと思い「白髪頭の人を探して下さい」と頼んでおくと簡単に見つけて下さった。 遠方からわざわざお越しになったからにはと・・・・私の経験談を交え三時間近く話しましたが、特殊な興行界の世界を少しでも理解して頂けただろうか?

今後、より厳しさを増す劇場経営に対応策は見出せるのか? 

昨年から御園座は10月の「顔見世」歌舞伎公演を金山の日本特殊陶業市民会館にて行なっています。 やはり劇場として豪華な設備が整っていた御園座での「吉例顔見世」興行と比べ見劣りするのは歪めないです。

御園座は高層マンションビルに合体した新劇場を再建するべく下の写真のように解体工事中。 ビル・劇場竣工までの数年間に御園座の看板興行「顔見世」歌舞伎公演が途切れないよう無理を承知で市民会館開催を続けている。

先日も御園座の歌舞伎公演を応援しようと財界有志がNPO法人を発足させたと報じられていた。 しかし、年一回の歌舞伎公演を不安視されるようでは新・御園座の年間興行はどうなるのでしょう。 中日劇場との公演合併と新劇場の開場景気に期待しているのか?・・・・・・それでは数年後に「劇場の健康寿命」に近づいてしまいます。 

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お知らせ

♯御園座の解体工事が始まりました。 地下鉄伏見駅⑥番出口から南へ、小道を横切れば御園座です。 劇場の伏見通り側は工事用の白い塀に覆われたままですが、正面玄関側は大きく塀が開かれ、随分と劇場の内装解体が進んでいる。

写真は、御園座会館の西側・御園通り商店街から見た工事現場です。 今まで会館地下一階へ通じていたスロープも土砂で埋められ、元松本糸店駐車場跡地と合わせて新マンションビル一階への幅広の搬入・搬出通路となる予定です。 新劇場は二階から上に舞台・客席が設計されているため、公演用の大道具・照明音響器材なども新設通路から持込まれると思います。

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