第35話

里見さんの御園座への出演は古く、昭和41年東映歌舞伎、昭和46年美空ひばりさんの相手役、そして昭和52年に初座長公演。それ以後松竹関西の制作により公演は続けられていたが、平成2年御園座創立95年の改装後の開場記念として一ヵ月半の公演を御園座制作に切替えて実施した。

このように里見さんの御園座公演は大変長く続いていたが、松竹からの買い公演は劇場幹部との食事会などが交流の場であり、私にとって里見さんは、とても遠い大スターでした。

それが、平成7年 突然に里見公演のプロデューサーを引き受ける事に。

初めてご挨拶に伺ったのは、東映京都撮影所。俳優会館の前に松平長七郎姿の里見さんが、撮影待ちをして見えました。大食堂へ場所を変え色々とお話しさせて頂きましたが、私は里見さんの真っすぐな人柄にすっかり引き込まれていました。

長時間、かつらと化粧をした長七郎と話しをしていると、時代劇の世界に移ったような感覚に・・・・・

初担当は、平成7年9月。演目は新橋演舞場にて初演された「雪の渡り鳥 鯉名の銀平」「極付 松平長七郎」「ショー」を再演。

翌年の平成8年11月は御園座初演を志し、忠臣蔵を素材に「大石内蔵助」を企画。

里見さんは「忠臣蔵はショーを付けての公演になると二時間ではまとめ切れない」と懸念されたが、私は以前明治座にて上演された杉山義法脚本の忠臣蔵・後半を大きくカット、前半の大石邸を描く事を提案させて頂いた。

大作家 義法さんを迎えての打合せに私も緊張したが、里見さんのプロデューサーとして認められるかどうかの大仕事。

食事会を兼ねてた打合せでしたが、義法さんは時々目をつぶり構想を練っている様子。

出来上がった台本には、主君切腹となった江戸からの知らせを受け、大石邸の土蔵から出てきた内蔵助が決意を固めていた場が描かれ、作品にも重みが増し里見さんも大納得。

この作品は、後日に新橋演舞場・劇場飛天・明治座と再演される事になりました。