第295話
美空ひばりさんは、平成元年に「昭和の時代」が終ったのを見届けたように亡くなられた。
その日から二十年、ひばりさんの命日は「林檎忌・麦の日」として多くの「ひばりファンの心」に刻まれ、毎年6月にはテレビ各局が特集番組を放送している。
昭和20年の日本敗戦から戦後復興へを、国民は「美空ひばり」と共に歩んで来た・・・・・そんな気がします。
没後20年、ひばりファンも60代後半から70代・80代になっているはずですが、ファンの心の中には年をとらない美空ひばりさんが生き続けている。
私の心にも御園座公演の想い出が、何時までも色あせないで残っています。
御園座は昭和40年~52年の13年間、毎年4月を「美空ひばり特別公演」としておりました。
その間に「ひばり家」バッシングの問題もあり、公演実施を問題とした一部マスコミもありましたが、先代社長は毅然として御園座公演を実施すると発表された。
そして、どこまでも続くかと見えた「美空ひばり特別公演」でしたが、大きな落とし穴が・・・・・
劇場の組織の中に、ひばり公演に対する「狎れ(なれ)」が生じていたのです。
忘れもしないです。昭和52年の公演中にひばりさんのお母さん(通称ママ)は、監事室勤務の私に「御園座は、お嬢の事をどう思っているのかねぇー」とポツリと漏らされた。
長年に及んだ公演が、いつしか御園座役員の座長に対する「愛情」を薄らいさせていったのを、ママは感じていたのでしよう。
翌年から美空ひばり公演を名古屋では観えなくなってしまった。
苦い経験です。
再び、ひばりさんが御園座へ戻られたのは、御園座が創立90周年を迎えた昭和60年でした。
「90周年のお祝いに・・・・」と決めらた御園座公演では、ママは既に亡くなられており、お会いすることが出来ませんでした。
写真は今年の「ひばりポスターカレンダー」の表紙です。