カテゴリ: 美空ひばり

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第508話

御園座の話題が途切れていますが、今日は久しぶりに御園座OBの近藤彰彦照明プランナーからメールが届きました。

「笹島ライブにある109シネマズ名古屋にて★ザ・スター★美空ひばり~大人の音楽祭~を上映しています。見てきましたが良かったです、ご覧になられては・・・・」との案内です。

私がブログに書き込んだ「体力も気力も落ちている」を読んで気遣ってくれたのでしよう。心遣いに感謝です。 

この映画のことは先日の中日新聞にも紹介されており知っていました。その記事を見て美空ひばり大ファンの女房殿から「お父さん、一緒に見に行かない」と誘われたのに対し「あぁ、つき合っても良いよ」と答えたが・・・・ひばり大ファンの女房殿には「つき合っても良い」は、どうも不満足だったらしい。

知人の中から、先月京都嵐山の美空ひばり座へ一人旅した大ファンを思い出し、今朝名古屋駅で待ち合わせして映画館へ。 結局、私は二人のアッシー君を務めました。

映画の内容は昭和56年44才の美空ひばりさんが、テレビ音楽番組「ザ・スター」に5週連続出演して歌った29曲を、高画質高音質に補正した作品とのこと、見終わった美空ひばり大ファンの二人は「今まで再放送されなかった映像ばかり、良かった!」と大大満足の様子です。

せっかくの近藤プランナーの案内でしたが、女房殿への覇気が無い返事から機会を逸してしまいました。

今、映画案内パンフレットを見ながら御園座での美空ひばり特別公演の数々を想い出しています。


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第295話

美空ひばりさんは、平成元年に「昭和の時代」が終ったのを見届けたように亡くなられた。

その日から二十年、ひばりさんの命日は「林檎忌・麦の日」として多くの「ひばりファンの心」に刻まれ、毎年6月にはテレビ各局が特集番組を放送している。

昭和20年の日本敗戦から戦後復興へを、国民は「美空ひばり」と共に歩んで来た・・・・・そんな気がします。

没後20年、ひばりファンも60代後半から70代・80代になっているはずですが、ファンの心の中には年をとらない美空ひばりさんが生き続けている。

私の心にも御園座公演の想い出が、何時までも色あせないで残っています。

御園座は昭和40年~52年の13年間、毎年4月を「美空ひばり特別公演」としておりました。

その間に「ひばり家」バッシングの問題もあり、公演実施を問題とした一部マスコミもありましたが、先代社長は毅然として御園座公演を実施すると発表された。

そして、どこまでも続くかと見えた「美空ひばり特別公演」でしたが、大きな落とし穴が・・・・・

劇場の組織の中に、ひばり公演に対する「狎れ(なれ)」が生じていたのです。

忘れもしないです。昭和52年の公演中にひばりさんのお母さん(通称ママ)は、監事室勤務の私に「御園座は、お嬢の事をどう思っているのかねぇー」とポツリと漏らされた。

長年に及んだ公演が、いつしか御園座役員の座長に対する「愛情」を薄らいさせていったのを、ママは感じていたのでしよう。

翌年から美空ひばり公演を名古屋では観えなくなってしまった。

苦い経験です。

再び、ひばりさんが御園座へ戻られたのは、御園座が創立90周年を迎えた昭和60年でした。

「90周年のお祝いに・・・・」と決めらた御園座公演では、ママは既に亡くなられており、お会いすることが出来ませんでした。

写真は今年の「ひばりポスターカレンダー」の表紙です。


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第284話


昨日、作詞家の石本美由起さんが亡くなられた、氏の作品には「憧れのハワイ航路」/岡晴夫・「港町十三番地」「悲しい酒」/美空ひばり・「矢切の渡し」/細川たかし・「長良川艶歌」/五木ひろし・と昭和の代表作がずらりと並んでいる。

テレビからは、美空ひばりさんが熱唱する「悲しい酒」の映像が何度も各局から放映されています。

ひばりさんにとっては「悲しい酒」は特別な曲、御園座で昭和40~52年の毎年4月におこなわれた「美空ひばり特別公演」のショー構成においても要となる大切な曲。

「悲しい酒」では、真っ暗な舞台に ひばりさん一人を照明が浮かび上がらせる演出が求められ、客の出入りによる光漏れを防ぐことになった。

曲のイントロから劇場ロビーの扉は劇場係員によって押さえられます。しかし、御園座には一階から三階客席まで26ヵ所の出入口がある。

全係員に「悲しい酒」の始まりと終わりを知らせるため、ロビー各所にブザーと赤ランプが設置され、社員総出で万全を期しました。

ブザーを操作するのは、ひばりママと一緒に毎日舞台を見ている監事室勤務の私です。

ロビーに鳴るブザーの音と共に、舞台・客席は真っ暗に・・・・

固唾を呑んで見守る中、ひばりさんが浮かびます。

お客さんは息をしていないのでは・・・とも思える静寂の中、ひばりさんの歌声とギターの音色が客席の一人ひとりの心に沁みこんでいく・・・・

劇場で聞く生の「悲しい酒」は、お客様も一緒になって情感を創り上げている。

映像では、この感覚が得られません。

写真は、念願のひばりさんとのツーショット。
撮影場所:京都・美空ひばり座 (合成写真)

明日5月29日は、ひばりさんの誕生日。存命ならば72才です。

第277話

御園座5月公演「お登勢」に主演されている川中美幸さんは、プログラムの中で「芸能生活30年を振り返って一番うれしかったのは」とのインタビューに次のように答えています。

「一生忘れないくらい感激したのは、美空ひばりさんが体調を崩して倒れられたとき、そのピンチヒッターにと声をかけてくださったときですね」

「小さいときからあこがれていた雲の上の人ですもの。話が舞い込んだときは心臓バクバク。天にも昇る心地でした」

これは昭和62年4月、美空ひばりさんが地方公演の福岡で倒れ長期入院、その年5月の明治座と11月の新宿コマ劇場の本公演に出演できなくなってのことです。

5月は緊急入院した翌月の公演であり、主だった歌手の方々はスケジュール調整ができず明治座公演は窮地に・・・・救世主になったのは御園座の4月に公演を行なっていた杉良太郎座長でした。

11月の新宿コマ劇場公演は、ひばりさんからじきじき白羽の矢を立てられた川中美幸さんでした。

当時の川中美幸さんは、大阪・梅田コマ劇場に昭和58年から座長公演をもって五年目、東京進出が女王・美空ひばりさんのピンチヒッターとは・・・・・この公演の成功が、東西大劇場における川中さんの座長公演を恒例とさせました。

美空ひばりさんに代わって公演を受け持つことは、大変な重圧だったと思います。川中さんには忘れられない公演でしようね。

話はもどって明治座の5月ですが、御園座が初めて杉良太郎公演を自主制作したものを、そのまま明治座は美空ひばり公演で集客したお客様に見せることになります・・・・・

「お客様が納得する舞台をお見せする・・・」杉座長の気力も充実していました。新米プロデューサーの私は、やっと御園座の初日を開けてホッとしたのも束の間、明治座騒動に巻き込まれていました。
(詳細は、このブログ2007年6月28日・杉公演自主制作そして明治座をご覧下さい)

私にも忘れられない公演になっています。

今日は御園座は休演日。なかなか観劇できません。

第232話

御園座の正月公演は、松平 健さん主演「座頭市」です。

今回の公演は松平健さんの芸能生活35周年記念の企画、芸能界へ憧れスターを夢見た青年を雇ってくれたのは大スター勝新太郎さんでした。付き人からのスタートでしたが俳優への階段を勝さんは大きな力で後押ししてくれました。

1978年(昭和53年)1月から放送されたテレビ時代劇「暴れん坊将軍」の主人公・八代将軍 徳川吉宗 役に、松平健さんが大抜擢される。

テレビ局も当時は誰も知らない新人俳優を起用しての企画だけに、番組スタート時は、大物スターに次々とこの番組への特別出演を依頼しました。

記念すべき第一回の特別出演は美空ひばりさん。

撮影は一年前の昭和52年、御園座4月美空ひばり特別公演の前に行なわれた。

東映京都太秦撮影所にての収録を終えて御園座公演に入られたひばりママは「プロデューサーとして久々に素晴らしい新人に出会えた」「これからの時代劇はあれぐらい大型でなくては・・・・間違いなくスターになるわよ」と監事室で私に話してくれました。

ところが、ひばりママからは松平健さんの名前が出てきません。「そのうちに放送するわよ」と締めくくられましたが、美空ひばりさんがゲスト出演する新人とは・・・・・それだけでも大きな話題として取り上げられます。

テレビ局の狙いは見事に的中し「暴れん坊将軍」はシリーズを重ね、放映回数831回。これは大川橋蔵さんの「銭形平次」888回に次ぐ長寿番組となりました。

まさに松平健さんの代表作に育て上げられた「暴れん坊将軍」ですが、余りにも将軍吉宗のカラーが付き過ぎてしまった事も歪めない。

今月の御園座公演は吉宗カラーを払拭する企画。恩師・勝新太郎さんの代表作「座頭市」への挑戦です。

30年前に、スターになると「ひばりママのお墨付き」を貰った松平健さんが、どんな座頭市を見せてくれるか楽しみです。

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