カテゴリ: 里見浩太朗

第84話

久しぶりに里見浩太朗さんとお会いしました。

来年の御園座正月公演を楽しみにされている様子。
公演はテレビ時代劇「水戸黄門」を舞台へ、「ショー」は日舞と歌謡ステージを組合わせ、正月らしく楽しく華やかな舞台をお客様に届けたいと語られた。

それにしても相変わらずの若々しさ、私よりも10才近く年上のはずですが・・・・こちらは髪の毛は真っ白に髪の量もどんどん少なくなっているのに、里見さんはキッチリと黒髪・量ともに保たれている。

以前に一度私から「里見さんは、白髪は無いんですか?」とお聞きしたら「少しは出て来てるから手当てはしているよ」と仰っていましたが、その時から五年は経っているはず、今では年下の私が容姿は10才~20才も年上になっていました。
(誤解の無いように付け加えておきますが、里見さん決してカツラを付けてはいませんので・・・)

久々にお会いすれば、何時ものように芝居の話に。

懐かしい御園座での里見公演の想い出を、色々楽しく話していましたが、杉山義法さんの話になると・・・・・

里見さん「本当に芝居の事が解かっていた作家だった」「普通の作家ならサラリと書いてしまうところを義法さんは、詩的にセリフを置き換えて情感を出してくれる。惜しい作家を失った」と話された。

私も杉山義法先生には、里見公演の「大石内蔵助」「おさん茂兵衛」の脚本をお願いしており、先生の作劇の上手さには何時も感心させられるばかりでした。

作家も役者も次々と世代交代していくようで少し寂しさを感じます。

*杉山義法 (2004年没)
NHK大河時代劇(春の坂道・宮本武蔵・武蔵坊弁慶)
民放・時代劇スペシャル(忠臣蔵・白虎隊・勝海舟・源義経など)
数々の脚本を手掛けられた作家

第48話

座長に作品を企画提案していく事もプロデューサーの大きな仕事です。

座長が演じたい作品か・・・ 営業的に知名度の高い「ご存知物」を企画するか・・・ 又は文芸作を取り上げるか・・・
プロデューサーとして実績と能力が、一番評価される事になります。

里見公演へ私が提案した「雪の渡り鳥」「大石内蔵助」「纏一代」等一連の作品は、それぞれ仕上がりも良く里見さんも大変気に入って頂いた。

平成12年3月公演への企画は、里見さんから持ち込まれた。

楽屋に呼ばれた私に、里見さんは「梅田コマ初公演に上演した「美男の顔役」を再演したいとビデオを渡してくれました。

座長が気に入っている作品なら願ってもないと思いましたが、答えはビデオを拝見してからと言う事に・・・・・

梅コマ公演の企画は、里見浩太朗さん演じる浪人金子市之丞、丹波哲郎さんのご存知河内山宗俊、そして田舎娘に歌手の中村美律子さんと里見さんの梅コマ初出演を祝うような作品作りがなされていました。

私は映画「美男の顔役」のシナリオも取り寄せて見ましたが、こちらも大川橋蔵さん、山城新伍さん、月形龍之介さん、里見さんは直次郎役で出演するという豪華顔ぶれ、その分役者を立てて書いており舞台に持ってくるには大変な作業に・・・・一番の問題は河内山宗俊が梅コマも映画シナリオも立ちすぎ、今の里見さんにはプロデューサーとして提案出来ないことでした。

悩みに悩んだ末、私が里見さんに提案したのは、河内山の芝居を里見さん演じる金子市之丞がそっくりそのまま演じる大胆な案でした。

楽屋に入って話を進めていくと奥様が「坊主はいやよ!」とおっしゃる。歌舞伎の河内山の坊主頭が浮かんだと思います。

もちろん市之丞が変装して高僧を演じるのですから坊主頭にならない事、又 今まで映画にも取り上げられなかった直次郎の母親が田舎から出てきて木賃宿に泊っているところへ、大名駕籠を仕立てニセ家来がご母堂様を迎えにくる場を取り入れたいと話していくと、里見さんも奥様も大変喜ばれ、その場で新作として書く事が決定となりました。

第41話

平成8年11月に里見浩太朗主演「大石内蔵助」を上演。

翌年、里見公演は決まっていたが中々作品が決まらない。公演千秋楽までには決めておかなければと気はせくが、「大石内蔵助」の仕上がりも良く里見さんは上機嫌。毎日のように共演者の皆さんと食事会が続いており企画は煮詰まらない。

ここまで来れば公演が終わって東京でじっくり話し合えば作品も決まると、気持ち良く里見さんに楽日を迎えて頂きました。

御園座公演の後も里見さんのスケジュールはビッシリ。それでも渋谷のNHK収録の合い間を縫って打合せに。

劇場からは、長谷川一夫さんが演じていた「半七捕物帖」の中から名作を上演してはとお願いしたが・・・・・

里見さんは「捕物帖は事件を起こす方が、良く書けてしまうよね」と核心を突いた意見を・・・・・」とうとう、この日も作品は決まりませんでした。

私は、御園座の演劇図書館に並べられている台本を次々と読みましたが、ピッタリと里見さんに合うものが見つかりません。

里見さんがご存知で自分に合うと思える作品は、以前に出演されていた東映歌舞伎公演の時に大川橋蔵さんが主演した演目が一番と「纏一代」を選びました。

この作品で決めなければと背水の思いで東京へ・・・・・

だが、乗った新幹線は関東地区大雨のため少し動いては止まり、又動いては止まりとうとう熱海で立ち往生。東京手前の品川が冠水し列車が数珠繋ぎになってしまっているとの事。

打合せ会場に出席できないことを連絡し、里見さんの自宅へお伺いすることに、ところが新幹線は何時までたっても動く様子も無い。

やっとの事で東京駅へ着いたのは、午後7時すぎ、なんと名古屋から東京まで10時間もかかってしまいました。

里見さんの了解を得て、ご自宅へ・・・・・

ご夫妻に迎えて頂き応接に座るのももどかしく、作品の話を・・・・・そんな私に、里見さんは「篠ちゃん、もういいよ、よしそれで行こう」と決めて頂けた。

ホッとする私に、奥さんから「何にも食べて無いんでしょう」「スキッ腹には肉もいけないと思い・・・・・」と出されたお茶漬けは、本当に美味しかったです。

忘れられない思い出です。

第35話

里見さんの御園座への出演は古く、昭和41年東映歌舞伎、昭和46年美空ひばりさんの相手役、そして昭和52年に初座長公演。それ以後松竹関西の制作により公演は続けられていたが、平成2年御園座創立95年の改装後の開場記念として一ヵ月半の公演を御園座制作に切替えて実施した。

このように里見さんの御園座公演は大変長く続いていたが、松竹からの買い公演は劇場幹部との食事会などが交流の場であり、私にとって里見さんは、とても遠い大スターでした。

それが、平成7年 突然に里見公演のプロデューサーを引き受ける事に。

初めてご挨拶に伺ったのは、東映京都撮影所。俳優会館の前に松平長七郎姿の里見さんが、撮影待ちをして見えました。大食堂へ場所を変え色々とお話しさせて頂きましたが、私は里見さんの真っすぐな人柄にすっかり引き込まれていました。

長時間、かつらと化粧をした長七郎と話しをしていると、時代劇の世界に移ったような感覚に・・・・・

初担当は、平成7年9月。演目は新橋演舞場にて初演された「雪の渡り鳥 鯉名の銀平」「極付 松平長七郎」「ショー」を再演。

翌年の平成8年11月は御園座初演を志し、忠臣蔵を素材に「大石内蔵助」を企画。

里見さんは「忠臣蔵はショーを付けての公演になると二時間ではまとめ切れない」と懸念されたが、私は以前明治座にて上演された杉山義法脚本の忠臣蔵・後半を大きくカット、前半の大石邸を描く事を提案させて頂いた。

大作家 義法さんを迎えての打合せに私も緊張したが、里見さんのプロデューサーとして認められるかどうかの大仕事。

食事会を兼ねてた打合せでしたが、義法さんは時々目をつぶり構想を練っている様子。

出来上がった台本には、主君切腹となった江戸からの知らせを受け、大石邸の土蔵から出てきた内蔵助が決意を固めていた場が描かれ、作品にも重みが増し里見さんも大納得。

この作品は、後日に新橋演舞場・劇場飛天・明治座と再演される事になりました。

第13話

里見浩太朗さんは、昭和41年「東映歌舞伎」に市川右太衛門さん、大川橋蔵さんと共に御園座の舞台に上がり、その後 昭和46年に美空ひばり公演の相手役として林与一さんと共に出演した。

映画スターの舞台進出は、御園座に於いても中村錦之介さんが昭和47年に、翌年からは萬屋錦之介と改名し本格的に舞台公演が続けられていた。

次なるスターは誰か・・・

先々代長谷川栄一社長の眼にとまったのは、里見浩太朗さんの爽やかな舞台姿、錦之介公演には無い「ショー」を取り入れた華やかな公演が出来るのではないか? 

東西の劇場に先駆け、里見浩太朗さんに昭和52年8月の座長公演を申し入れた。
里見さんは、社長御子息の制作担当長谷川常務とは同年代でもあり、快く快諾され初座長公演が実現。

そして、昭和56年より三波春夫さんに替わって、御園座の正月公演の顔となりました。

東西の劇場も里見公演を実施、その「芝居」と「ショー」の構成は、東映時代劇を待ち望んでいた多くのお客様の心をしっかりと捉える事になりました。



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